西光寺
阿波公方墓所

付近住所 徳島県阿南市那賀川町赤池


阿波公方の由来
室町幕府10代将軍足利義稙は時の管領細川高国の専横をいきどおり淡路を経て阿波国撫養に来りここに病没す
その子義冬は永禄年間那賀郡平島庄、西光寺に入り古津の平島館を修築してここに移り天下をうかがう、これ初代阿波公方(平島公方)なり、長子義栄阿波の三好氏に擁せられて上洛し志を得て14代将軍となるも足利義昭を奉ずる織田信長の勢力に追われて阿波国に帰り撫養に病没す弟義助は古津の平島館にあって上洛の機会をうかがいしも阿波公方の支持者阿波細川氏滅びこれに代る三好勢力もまた土佐の長曾我部勢力の侵入により滅亡し雄図空しく挫折すその後義種、義次、義景、義辰、義武、義宣、義智を経て、文化2年公方義根の阿波国退去に到るまで歴代公方は約250年間、古津の平島館に在住し義根の時代に阿波漢文学のめざましい興隆を来せり世人よんで「公方さま」といい尊崇の念あっく那賀川赤池の西光寺を訪へば第10代将軍義稙(恵林院殿贈一品征夷大将軍巌山道寂大禅定門)及び初代阿波公方義冬(慶林院殿実山道詮大居士)第14代将軍義栄(光徳院殿玄山道英大居士)をはじめ歴代公方の墓石が現存し
「風雪に耐え苔むして 往年の面影を偲ばしむ」